戦後の日本で、工場等の現場の労働生産性向上の標語に、「〇〇も、〇〇も、戦時の工夫」というのが有ったと記憶しています。子ども時分ですから、1960年代初頭に工場で、古くなったポスターに大きく記載されていたのを見ました。「古くなった」ポスターは、1950年代のものであったようです。
戦時中の「張り詰めた」つもりを思えば、多少「たるんだ」職場環境の戦後でも、生産性は向上するので、勤労者(労働者)は心掛けましょう、といった意味合いが込められていたかと考えます。国民が一丸となった、「戦時体制」を思えば、不可能は無い、ということでしょうか。
ところが、この非常事態とか、挙国一致といった意味合いには、かなりの弊害が付きまとう、といった本来的な属性があったようです。
「戦時体制」からは、今北朝鮮で叫ばれている「先軍思想」が想起されます。軍需を優先する産業構造は、民需を後回しにするだけではないのです。民需の生産の負担を軽減する考え方が根本で、当面の耐久性で了として、戦争が「勝利」となってから、再度通常の耐用年数の建築物や、構築物、装置や道具に差し替えれば、それで良しということのようです。
戦争が短期間で「勝利」となった暁ですら、これらの生産物は、結局社会に残存し、いわば時限爆弾の、プラスター爆弾の様に、生活上の事故を誘発するのです。
ましてや、長引いた戦争や、結果的に「敗戦」となった場合、「戦時体制」生産物は、戦後社会に長らく残存し続け、災いを発生し続けるもののようです。