世界地図や世界史年表での記載が僅かで、私自身、地理でも歴史でも、学習の盲点・空白区域となって来たのが「チベット」でした。吐蕃や西蔵といった漢語表現やチベット高原やそれを取り巻く山脈の地形についても、一度は学習しても、その後復習したり再度顧みる必要性をも感じて来なかったのも事実です。
その空白区域の、言わば穴埋め学習となる「チベット学」は、費用対効果で、最も効率の良いものとなりました。従来は学習する実利も判断材料で、民俗学やヒマラヤ登山、仏教の原点を追及する、といった用途としてしか有効性が認められず、経済的利益を得る手段としての「実学」とは、最も縁遠く、また、他の一般教養等とは無縁の、孤立した学問であったかと思います。
しかし、中国問題の対抗策や判断材料として、チベット学は政治的な側面で必要性が俄かに増しました。チベットそれ自体を知ることによって、反射的に中国の現体制を把握する有効な材料となります。
更に、チベットに隣接する国々、イスラム教徒のウイグル人の存在や位置関係、インドに起源のある仏教の伝播、仏教の原理や奥義を追求しようとする場合に、チベット仏教は基盤となるようです。
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