「エンジンの音 轟轟(ごうごう)と」。 即物的な歌詞で始まる、旧日本陸軍の飛行戦隊を主題とした軍歌『加藤隼戦闘隊』を、先日カラオケで、披露する機会がありました。
内心とは逆の歌でも、無礼講的に容認した上で、敢えて試みる積極性を、ご理解いただけるグループの集うカラオケボックスの中、といった条件の前提で、初めて歌えたということでしょう。カラオケの歌詞に100%共感はしないが曲目を選択する、といったよくある事例ですが、「自己弁護」無しに、すかっと歌えました。
多くの場合、日本の軍歌には「散華の思想」と「哀愁の余韻」とが、互いに絡み付いて並存するものであると、事例を挙げてさりげなく提示するのが私の本心であり、歌った本来の目的でした。下手をすると、この意図が全く理解されずに終わってしまうところですが、さすがにこのグループは別格でした。
歌詞の三番の中で、「必ず勝つの信念と」まではどこの国の軍歌にもある勇ましさですが、「死なばともにと 団結の」では、「必勝」は打ち消され、集団心中の道が誘導されます。すなわち「勝つか」あるいは「死ぬか」の二者択一の単純化された構図が、信念と集団意識の中で、醸成される仕組みです。
更に歌詞の四番は、長調から短調に転調した上で、戦死した「戦友」への愛惜の思いが、哀愁の余韻を残す内容です。「勲(いさお)の陰に涙あり ああ今は亡き武士(もののふ)の 笑って散った その心」と高揚させます。この「笑って散る」のが肝腎のようです。
一旦内心の逆を暫定的に提示して、一定の評価を受けた上で、おもむろに本質論ずる方法を模索したいところです。日頃、毒にも薬にもならないと見做されている私にとって、存外な方策・手段を与えさせるかも知れません。
コメント