先日、千葉県佐倉市の『国立歴史民族博物館』を観覧し、一昨日、横浜市金沢区の『神奈川県立金沢文庫』を観覧し、私なりに或る「仮説」が浮かびました。それは、漢籍の流転の実例です。
日『歴博』で眺めた、史記の『宋版』の注釈書は、元は『金沢文庫』にあって、金沢文庫⇒上杉謙信⇒上杉景勝⇒直江兼続⇒興誠館⇒国立歴史民族博物館、といった経路を辿ったのではないか、といった「仮説」です。
『金沢文庫』は、鎌倉時代の中期以降、幕府体制の崩壊近くの頃までに、金沢北条氏が和漢の典籍を収集・保存した文化施設です。それが、1333年の鎌倉幕府滅亡と共に、「無主物」となり、隣接する称名寺の保管するところとなりました。称名寺は金沢氏の菩提寺ですので、所有あるいは占有の「正統性」は、あったものと推定します。
ところが後世、時々の権力者の「略奪」に遭遇し、書籍は散逸したとされています。その一例として、16世紀の戦国時代に、越後を本拠地に版図を拡げた、長尾景虎も「加害者」となるようです。鎌倉の鶴岡八幡宮で、関東管領就任の儀式の後、『金沢文庫』の一部を持ち去った、という記述がありました。景虎が儀式で、『上杉謙信』となった「事実」を黙殺するところに、略奪者への恨みが篭っているようです。
謙信亡き後、上杉景勝を経て、上杉家の執政直江兼続がこの『宋版』の漢籍を手にしたと、充分に推測され得ます。世に名高い『直江状』を引用するだけでも、兼続が当代第一の文化人であったと考えられるからです。
更に。兼続亡き後、「漢籍」は、上杉氏米沢藩の藩校『興誠館』に納まり、それが『歴博』に寄贈された、というのが私の仮説です。
文化財は、その価値を正当に理解出来る人物や組織が所有あるいは占有し、「狭い堂宇の閉鎖」される事も無く、「特権的な私人の独占」からも開放されるべきでしょう。文化財にとっても、人類にとっても、それが幸福な状態であると思います。
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