「ならぬことはならぬものです」というのが、かつての会津藩の藩士の子弟の教育方針であったようです。藩校の日新館での精神主義が偲ばれます。
孔子の言行録『論語』の中にも、「小人は誤れは、取り繕う」という言葉があったと記憶しています。正確には、白文で「小人之過也必文」、書き下し文で「小人の過つや必ず文(かざ)る」です。
政治の世界では、最終的に議決で敗れても、自説を正当なものと主張し続けるのが常道です。丁度、敗訴した側の弁護士の敗戦の弁として、あくまで弁護側の正当性や無実、情状酌量を公言するのと、なぜか似ているようにも思われます。
困るのは、先々なんら展望も無く、便宜的に時期尚早論を唱え、ある時期を過ぎると、賞味期限が過ぎた議論として排除の準備をする、といった何ら実質的な論争を展開しない政治です。
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