種を明かせば他愛の無い家庭内のいざこざを、視聴者にあまり肩を凝らすことなく展開し、多少の意外性や教訓をともなって、家父長的な威厳と人生経験をもった父親の差配によって一件落着となる、というのが、私が小学生時代の1960年代の、テレビのホームコメディーの公式であったかと思い出します。
同時期に、アメリカからの輸入のドラマに『パパは何でも知っている』といった和製の題名がありました。日本のホームドラマの本流や全体意思を仮託し、投影したものと思われます。
その頃、あるホームコメディーがありました。本筋は本邦のホームコメディー(家族喜劇)の王道を往く内容であったかと思い出しますが、脇筋での子供らしいような子供らしく無いような行為があり、それを今になって思い出しました。
ガキ大将がゲストとして登場し、それに抵抗する主演家族の一員であるレギュラー出演の子供が、腕力ではなくて、将棋の勝負で決着をつけようとした場面です。多少将棋の腕前には自信があったと見えて、抵抗勢力となったレギュラーの子供は、暴力装置側を巧みに、得意な対抗手段に誘引した上で優勢となります。いわば「勝ち易きに勝つ」という道筋です。
ところが、ガキ大将側は、自分が劣勢となった場合の別次元の手段を用います。今の私の記憶力と判断力では、これがこのようなキャラクターの常套手段であったように解釈されます。
すなわち、ガキ大将は子分の子供に、偶然を装わせて、ドッジボールのボールを将棋板の上に落とさせて、将棋の駒を散らさせ、将棋の勝負をうやむやにしようとするのです。
ところが、それを直前に察知した、女の子の機転で、謀略は阻止され、ガキ大将は将棋の勝負での決着を放棄して退散します。
古代中国の兵法家『孫子』の、「謀を撃つ」の大切さと効果が、実感されます。もっとも、「勝ち易い方法論」で勝つのは、確かに勝ちは勝ちでしょうが、一種のアンフェアな後味の悪さも感じられるのも確かです。
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