世の中の大多数というよりも、すべての人々が、様々な危険を孕んだ生活をしている、現代社会と云えるでしょう。
たとえ乗用車の運転で、制限時速を守ったり、「許された危険」の範囲内で走行しても、何らかの過失割合を負うような事故に遭遇する可能性は、ゼロではありません。
その場合「想定外」といった、最近非難を浴びている言葉が思い浮かびました。あまたの複合的な「不幸」の要素が重なれば、交通事故は起き得る、と考えるのが自動車運転者の実感でしょう。
核兵器の誤発射や原子力発電所の事故は、その被害の規模や波及の範囲が膨大です。したがって、万万が一にでもあってはならないものでしょう。
その場合ですら「想定外」の要素を排除する為には、防止策としては「廃絶」しか選択枝は無いもの、と考えるのが自然でしょう。
端的に云えば、原子力発電所の廃止です。核兵器の廃絶が、破壊手段としての、軍事目的の、暴力手段としての核の廃絶であるのと全く同列に、「平和利用」の核も廃絶しなければ、遅かれ早かれ「想定外」と「事故の膨大な被害」との連鎖が発生するのは不可避です。
要するに、あるいは所詮、人類と核とは、共存出来ないものなのでしょう。破壊目的でも、発電目的でも、軍事目的でも、平和目的でも、善意でも、悪意でも、総ての付随的な事象・事物や表象を捨象して、取り掛からなければ、人類の存続は不可能なのです。
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