日本映画『無法松の一生』(監督稲垣浩 主演坂東妻三郎)は、第二次世界大戦の中でも戦況の厳しい1943年(昭和18年)に製作されました。
公開時には軍部によって検閲され、敗戦後は占領政策で別の角度から検閲を受け、カットされた作品です。ところが、様々な制約下に生み出された「奇跡の名作」であった、と私は今再認識しました。
明治時代後期から大正時代の初期、九州小倉の車夫富島松五郎が、世話になった陸軍大尉の未亡人への思慕の念から、遺児の成長み助力するといった筋立てです。
この遺児吉岡寿雄が、旧制中学に進学した年齢となっても、松五郎が、寿雄に「ぼんぼん」(坊ちゃん)と呼びかけるのを、同級生に揶揄されて恥ずかしがります。 この「悩み」を母親に相談する場面があり、それに答える母親の以下の様な科白がります。
「男は、その位の事は、笑い飛ばす様な、雅量が無くてはいけませんよ。」
楽屋落ちとなりますが、この吉岡の未亡人を演じた女優園井恵子が、二年後に広島の原爆で被爆死した事が、この度の東日本大震災と福島原発の事故と重なりあいます。
この科白は、二度の検閲の中でも生き残りました。園井恵子の遺言を後世に存続させるためようにです。なぜか、1958年版の稲垣監督の再映画化では、この科白は省略されています。 高峰秀子に繰り返して言わせないのはなぜか、と考えることもありました。
私は、現代社会の諸問題の多くが、雅量の無さに起因すると考えます。特に、近年政治家が、権力の正当な行使とはいささか異なった、「圧力団体」的な挙措にた易く出るのは、困ったものです。
先日は、災害復興担当大臣の雅量の無さが露呈しました。特に、「九州の方々」は、吉岡の未亡人に見習っていただきたいものです。
映画の初めの方で、松五郎が芝居劇場の木戸銭の慣習についての見解の相違で、劇場側への抗議として、観客席で大騒ぎを起こす場面があります。その際に、喧嘩の仲裁に出てくる「結城屋の旦那」も、喧嘩の「留男」(とめおとこ)としての、器の大きさが表現されています。
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