ほぼ同じ意味で使われているような言葉でも、役人言葉と政治家言葉とがあるようです。例えば、「生活」は前者で、「暮らし」は後者であるようです。
「生活」は、漢語の行政用語として、他の言葉と合成されて、正にお役人言葉として、王道を闊歩するようです。生活環境、生活指導、生活水準、生活設計、そして極め付きは「生活保護」でしょうか。
この行政用語の「生活」は、何らかの指導といった指図を伴って、我々の存在に対して、公権力側が、微に入り細にわたって、それぞれ指標に当てはめて、それでいて随分と画一的な作用を及ぼすようです。
一方「暮らし」は、和語として柔らかく、官製の衣や鎧を受け付けない趣きがあります。暮らし向きといった表現も柔らかく、非正規な覇道を逍遥するようです。
ともかく、政治家に求めたいのは景気を良くしてくれることだ。そうすれば、暮らしは暮らしの方で、俺たちが何とかするから、といった独立自尊の主体性もあります。
今の日本の置かれた状況からすれば、「暮らし」こそが、活力の源を問う言葉としてふさわしく、我々政治家の立脚すべき点も、そこの辺りにあるようです。
来年は、「生活本位制」から「暮らし本位制」へと、国民が意識改革すべき節目となるでしょう。制度的なあるいは行政実務の分野は、役人に任せるとして、政治家たるものは、少数の「生活本位」重視派の存在をないがしろとはしないものの、「暮らしこそ本位」といった心構えを持つべきでしょう。
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