短期的に収益を上げて、同業他者との比較論に置いて、たとえ一時でも優位に立つ。 (荒稼ぎした)収益は、贅を尽くした刹那的遊興に使い果たす。 というのが、江戸時代の大方の町人的発想であったようです。
ある読み物で、江戸の隅田川(大川)の橋を、町人の民営とした場合、架橋や再架橋の普請(工事)において木材の質を下げたり、手抜き工事を行ったり、後々の補修を怠ったりした例が枚挙に暇がないようです。
その結果として、「落橋」といた最悪の事例も発生しています。
耐久性のある立派な橋を架けて、後の世の手本とするとか、見えざる所に心血を注ぎ、人知れずとも内心で誉とする、というのが武士としての本分でしょう。
しかし、悲しいかな、封建制度の厳然たる身分制度は、生まれて以来の厳然たる人間の分離(仕分け)によって、多くの町人をして、ノーブレスオブリージから、完全に遠ざけたようです。
江戸時代の公共事業は、江戸時代の町人的発想には、そぐわなかったのです。
現代社会でも、政治の大本は、商人的な発想から、対局に位置させなけばならない場合が多いものです。