三権分立に配慮すれば、政治の相対主義、司法の絶対主義、それに行政の〇〇主義、と論ずべきであるように、政治に携わる私は、考察するのが常道でした。 が、先日の福井地方裁判所の判決文は、目の鱗の落ちるような多くの示唆を私に与えました。
その本文を熟読する時、総てを利害対立や利害の比較衡量として考察する習慣を知らずに身に付けられてきた私にとって、自己反省させる十分な重みを感じました。 と共に、司法権の独立といった「人類の歴史の試行錯誤と多大の犠牲の堆積の上に初めて到達した英知」をひたすら追求し、「万代の木鐸としての、裁判所の歴史的使命」の意義を、ひたすら反芻しているところです。
人類が多くの試行錯誤と多くの犠牲の上に辿り着いた、「法」を「哲学」として論述しており、「法哲学」という、最も堅固で普遍的で、不確実性を排除した基盤の形而上学を、極めて現実的な危機的状況の中で、格調高く提示しています。世俗的な利益構造による、人類のこれ以上の過ちを防止する「堅固な盾」としているのです。
コメント