今から2,500年ほど前の中国の思想家孔子は、儒学の祖です。 その言行録は『論語』として、主として孫弟子達によって編纂されました。 古代中国語の原書は、多少の記号を添える事で書き下し文となり、変則的ながら日本語として、我々にも読了可能です。
孔子は、したたかな口舌を有し、饒舌で説得的な言動で生きたと思われます。 思想家の必要条件であり、ある意味で「巧言」の徒でもあったでしょうか。 その現行の要点筆記に止まると思われる『論語』を素読みにしても、その片鱗が伺えます。 更に、孔子には次の様な特質がありました。
すなわち、一般的な公理を体系的に論ずるのではなく、質問する弟子の個性に合わせた答弁のし方です。 弟子の考え方に偏りがあれば、それを遠慮なく適示して、自覚させます。 弟子の理解力に不足があれば、それを真向から否定はせずに、より良い生き方を示唆します。 弟子が平衡感覚を持って理解・実行している事柄については、心から歓待して対等な対話をおこなっています。
これは机上の空論では無く、実態に則した現実論であり、人間社会の古今東西の諸矛盾を前にした、万古普遍の基礎・基準を持った方法論です。
去る4日(木)に、衆議院憲法審査会で参考人として招致された3名の憲法学者の取った対応については、感慨深いものがありました。 衆議院議員の質疑に対するそれぞれの答弁は、孔子の答え方と似ていると、私は直感しました。 自分の学説をただ機械的に陳述するものかと想定した私の予想は、実に見事に外れました。
そもそも、「憲法学」とは、高尚な学問とされがちで、私も一応はそう考えて来ました。 殺人や放火、強盗や強姦などを扱う刑法、離婚やら相続争いを扱う民法、営利目的の肯定を前提とする商法とは違って、格調の高い理想論や哲学論を展開する学問領域である、と私も偏頗な理解をしてきたものです。
この度の3人の憲法学者達は、単に最高法規である憲法と安全保障関連の諸議案とを、法律の整合性に着眼して答弁するだけならば、唯憲法の条文と、法案の条文との矛盾点を、逐条的に例示あるいは列挙すれば、それで事足りたはずです。
しかし敢えてそれを超越し、「法の精神」といった視座から、緊急性のある政治情勢を十分に踏まえ、憲法学が、諸法規に優越して諸般の悲劇・矛盾・惨禍を防止出来る、最後の拠り所となるとの信念の下、詭弁を排斥したものでしょう。
学者ながら自身の言行が、結果的にどのような影響をもたらすのか、といった政治家以上に政治家的な責務も具備した発言なのです。 それは、薬の効能を事前に判断する場合、今までの症例を隈なく検証した上での、慎重な判断に例えられるでしょう。
膨大な人類の過ちの繰返しの堆積を痛感した上での歴史的判断、国民の福利厚生よりも領土問題を優先するような国家を超えた民族的判断、そして、人類の存続、更に突き詰めれば、究極的に人類の滅亡防止を最大の前提として判断といえるのもかと考えました。
今更ながら、人類と共に歩み、古代ローマ法以来だけでも多くの試行錯誤を経て進展した法学、就中憲法学の存在の意義の重さを噛み締めています。
これは、イギリスで1215年国王に認めさせ、立憲政治の最初の基礎であるマグナ=カルタ(大憲章)、1789年フランス国民議会が採択した近代市民社会の原理の主張の人権宣言、1928年のパリ不戦条約などの「エッセンス」精髄の結晶でしょう。
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