大正時代の1918年、北陸の富山県を「震源地」として『米騒動』が発生しました。 米の法外な高騰に対抗して、主婦などが米屋の米蔵等を襲撃した暴動です。 この騒動はほぼ全国に伝播しました。
高校の日本史の教科書では、定番となっている歴史的事件です。 学習の要点としては、①シベリア出兵を当て込んだ米の買占め、②寺内超然(非立憲)内閣の失政、③初の本格的政党内閣(原内閣)の成立への道を開く、でまとめられています。
私は、これらを踏まえて、2つの事柄を付加的に述べたいと思います。
まず一に、地元富山県での価値判断です。 3年前の8月初旬、当時私の所属する市議会の会派は富山市を視察しました。 視察目的は「コンパクト・シティー」のまちづくりでした。 夕食の席の酒リストに、『米騒動』とい銘柄の日本酒が大きく記載されていました。
歴史上悪名高くても販売促進となる事例、と簡単に考えながらその名『米騒動』の由来についての長文を読んだところ、堂々と高らかに以下のように記述されていました。
すなわち、『米騒動』は、地元富山の女性パワーの発露であり、結果的に政党内閣をもたらした世直し運動である、といった内容なのです。 近代日本の政治の進歩に貢献した、との価値判断には恐れ入りました。
もう一つは、本日読んだ、詩人与謝野晶子の評論『食糧騒動について』です。 これは、1918年8月に執筆され、翌9月に雑誌『太陽』に掲載されたのです。
過去の出来事の全体像や、その後の推移や結果、歴史的な位置付けを知り得る、圧倒的に優越的位置の現代に身を据えながら読んでも、この論評は的確で申し分の無いものでした。
寺内「軍閥」内閣の悪政を糾弾しその退陣を求め、その背景にある「成金階級」や、富裕層の「偽善」に表れる反社会性にも言及しています。
先日、このブログで取り上げた樋口一葉20歳時の小説『にごりえ』が1892年の作品で、この評論が晶子40歳頃の1918年のもので、その時間差は26年ですが、ジャンルの違い、人生経験の違いを差し引いても、隔世の感があります。
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