近代中国の作家魯迅(1881~1936)の小説、『故郷』を読みました。 井上紅梅の訳で一昨日の夜と今夜、竹内好訳で今夜と、合計3回で、いささかくどい回数を重ねました。
魯迅の小説は、20世紀の辛亥革命を経た「民国」となっても、中国社会が抱える、封建制や後進性を、身近な矛盾点をさらけ出すように、当時の中国人に訴えかけた、社会性にその本質があるようです。
今回の読書の動機付けは、小説『故郷』の邦訳が、現代の日本では中学生の国語教科書で定番となっている、と聞き及んだからです。
そうでなければ、『狂人日記』や『阿Q正伝』、あるいは『藤野先生』、せいぜい『孔乙己』辺りで、私にとっての魯迅は、「一応事足れり」、といったところでした。 ところが、日本の中学校の国語の教科書の常連と聞いて、読了する義務感が生じたわけです。
確かに、魯迅の文章は翻訳してさえも、具体的は記述で中学生にも分かり易いものでしょう。 そして、その文章の字面だけを辿っても、余韻の残るものでしょう。 その小説が意味する、作者の社会批判は、学校教諭の補足的な指導による、時代背景の説明を要するでしょうが、大人になってから読み返して含意を理解し、獲得してもなおさら意義のあるものでしょう。
魯迅の描く「故郷」は、子供時代と大人時代で、身分制や貧困で、こうも幼馴染との間に壁が生ずる悲しさ、自分といった定点を基軸とすれば、懐かしく美しい「故郷」がどのように寂しく変容するのかが、的確に示されています。
また、ついでに申し上げれば、かつての「民国」中国がこれ程悲しい邦であったに止まれらず、現代の中国共産党の一党支配の「人民共和国」でも、依然として、連綿として継続する課題を、再認識する有力な材料・手段ともなるでしょう。
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