織田作之助の短編小説『夫婦善哉』を読みました。
1940年発表で、ヒロイン蝶子の生年が1906年(明治39年)の丙午との設定となっていますが、関東大震災(1923年発災)に熱海で遭遇した時点で、20歳程なので、何かの間違いと解釈します。
うまいもんに目の無い、維康柳吉の存在も、「柳」の字面が象徴するように、ゆらゆら揺らめいて頼りないものでした。 私は元より、この小説の主人公の二人を決して肯定的に評価はしませんんが、大阪の食文化に最近興味があり、実際の店の名前の登場などにが自由に羅列されている事もあって、通読する動機付けとなっていました。
とは言っても、作者は京都の旧制三高に在学した経験もあり、かなりアカデミックな文章でもありました。 地のセリフは大阪弁でも、語り口はかなり漢語的な表現を駆使しています。 描写は客観的に突き離して貴族趣味的で、むしろ冷やかに彼達の生態を、懇切丁寧に、大阪以外の文化基盤の日本人一般に分かり易く描写しています。
1920年代、大正末期から昭和初期にかけての、大阪の人々の人情を、天婦羅職人の父と、やとな芸者の娘、甲斐性無しの若旦那、置屋の元芸者、更に借金取りまで哀歓を以って、大阪人の気風を描く手段として、このような設定にしているのかも知れません。
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