世の中には、理解出来ない物は、存在しない物と同一、に見做す性癖の人々が、相当に多い事に最近気付きました。 これは気楽な生き方の一つではあります。
私の同世代が還暦を迎え、周囲の生活環境が変化して来ました。 未知への探究心を放擲し、自分の今まで蓄えた知見を反芻して暮らせば、それで十分と考えるのも一理あります。 あまり脇道へそれず、冒険によるリスクも少ない生き方でもあります。
とは言っても、人生は生涯発展途上であるべきとする、生涯学習奨励の理念からすると、寂しい生き方のようにも受け取れます。 そもそも、還暦になって探究心を持てないとおっしゃる方は、従来も向上心の乏しかった方々であったのではないか、といった感触も受けるからです。
先頃、子供時代特に小学生時代には、これといって何も特別勉強しなかったが、それで済まされた、それで良かったし、今となってもそれで十分だったと思える、といった言動を耳にしました。 日常性の中に埋没すれば、何ら問題意識も無く、批判精神を働かす事無く、安穏に暮らせるとは思います。
世の中について、何らかの問題意識を持てば、それだけで必然的に探究心に繋がらざるを得ず、それがすなわち、行動を通じての向上心を醸成すると思えます。 2,500年前の中国の思想家孔子の言行録にも、「問題意識を持たない者には、教えようが無い」といった趣旨の言葉が有ります。
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