コロナ禍で、自宅の事務で過ごす時間が多くなります。その「甲斐」あって、日頃は、なかなか読み返せない文学作品に、再度触れる機会・時間的な余裕も生まれるようです。
50年ほど前の中学生時代、国語の授業でテキストとなって印象の深かった、森鴎外の小説『山椒大夫』の、気になっている部分を精読しました。
厨子王が、人買いで奴隷的な使役をする山椒大夫の勢力下から逃れて、丹後の国分寺に逃げ込んだ所、住持の僧侶の曇猛律師が、厨子王をかくまって、追っ手を退散させる場面です。
キーワードは、『詮議』でした。「逃亡者の捜索」といった意味で用いられています。律師がこの『詮議』を含めて、山椒大夫の追っての頭である、息子の三郎に向かって、引き下がらせる為の々様々な理由付を述べるくだりが、どの様なものであったか気になっていました。以下は、その本文です。
「逃げた下人を捜しに来られたのじゃな。当山では住持のわしに居言わずに人は留めぬ。わしが知らぬから、そのものは当山にいぬ。それはそれとして、夜陰に剣戟を執って、多人数押し寄せて参られ、三門を明けと言われた。さては国に大乱でも起こったか、公の叛逆人でも出来たかと思うて、三門をあけさせた。それになんじゃ。御身が家の下人の詮議か。当山は勅願の寺院で、三門には勅額をかけ、七重の塔には宸翰金字の経文が蔵めてある。ここで狼藉を働かれると、国守は検校の責を問われるのじゃ。また総本山東大寺に訴えたら、都からどのようなご沙汰があろうとも知れぬ。そこをよう思うてみて、早う引き取られたがよかろう。悪いことは言わぬ。お身たちのためじゃ」
私自身なりの50年の間の日本史や仏教へ知識の、ともかくの膨張や、今回時間を掛けての辞書調べで、正確に理解する事が出来ました。
それにしてもです。森鴎外は満60歳で没しています。私宮岡治郎はもうすぐ65歳になろうとしています。鴎外の執筆する力量と、辞書の助けでやっと理解できる、私の力量、この歴然たる較差に、今更ながらため息が出ました。
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