長編教養小説『次郎物語』の作者下村湖人が、古代中国の思想家講師の言行録の『論語』に造詣が深い、といっ事実はかなり前から存じてはいました。
映画やテレビで、その一部触りを鑑賞しただけで、いままで過ごして来ましたが、本日初めて『論語物語』を通読し、論語理解の深さに感嘆しました。
中島敦の短編小説『弟子』と並んで、近代日本人の漢籍理解度や、儒教原点の根本義理解、孔子の臨機応変の柔軟性にまで立ち入ったフィクションの創造性などが立証できるでしょう。
本家中国で、この水準の主節が書かれているでしょうか? 公私への正しい理解は近代の日本人の専売特許のような気さえします。
要点は以下の通り列挙します。
① 来栖や調自然的な現象を前提としない、実態の生活に基づいており、宗教性は無い。
② 故人の安心立命を目指さず、公共性、政治性を手段・目的とする。
③ 哲学的体系や整合性にこだわらす、自然体である。