哲学者の和辻哲郎の著作、『埋もれた日本』を読みました。
副題として、ーキリシタン渡来文化前後における日本の思想的状況ー、となっています。
発表されたのは、1951年2月ですので、かなり前です。
その後、日本の歴史全体や思想史でも、学問的にかなり修正が加わっているでしょうから、現在の歴史の解明の度合いからして、現在の視点で眺めれば、客観的に正確な分析とはなっていない側面も当然あるでしょう。
が、ともかく、著者の碩学ぶりにまず圧倒されました。現在で和辻氏に匹敵する学者は存在しないでしょう。
著作は、副題から想像する内容とはかなり違います。キリスト教の受容の歴史経過には、ほとんど触れずに、日本人個々の、あるいは集合体としての、応仁の乱辺りから後の、室町時代後期から戦国時代の宗教観を解析しています。
例として、家康旗下の武将で、かつて一向宗門徒として、18年も疎遠となった後に、本能寺の変をきっかけに、帰参はするものの、常にキリシタンに同情的であった例などは、深く考えさせられました。
また、林羅山の幕府初期の文教政策が、当時よりも一時代前の最高の思想家の群像にくらべて、思想界での、人材と業績の萎縮をもたらしたとは、現在のの本の状況と照らしあわせても、痛感するところでした。
おそらく、和辻氏は、戦前戦中の思想弾圧による、学問不毛を念頭に、締めくくったと思われます。
とすれば、キリシタンとは、自由主義や民主主義を暗示しているでしょう。