西暦1333年、「元弘3年5月22日」が、市内野田の円照寺の石碑に記された、加治家貞の命日です。
鎌倉幕府滅亡の際に自刃しているので、命日と幕府滅亡の日付が一致するはずな分けです。
1370年頃に太平記は出来上がったとされています。 この歴史絵巻でも「元弘3年5月22日」を幕府滅亡の日と記述されています。
石碑の彫られた時期が、1370年頃以降であるならば、太平記を参照して、日付が彫られた可能性大となるでしょう。
しかし、加治家貞の子家季が石碑をたてているので、1370年よりも前でしょう。
そこに、この石碑の存在意義があります。