原子爆弾の被災地長崎市は、市民があまりにも大きな悲劇に見舞われた土地です。と同時に、長崎「市長」の受難も多くあります。
市長が市議会での言動が元で銃撃された負傷した例や、利権が動機の反社組織構成員による市長の射殺、そして今回の、米英を中心とする平和式典への大使の欠席です。
長崎は、かつてキリシタン弾圧による殉教の地であり、その後派生する隠れキリシタンの、重い歴史もあります。
ここで、私なりの仮説を試みたい衝動に駆られましたので、以下に披歴します。
現在の市長の母方の祖父は、かつて長崎市長を4期16年務めています。その時代に、浦上の天主堂の半ば崩壊した本体を残骸を撤去して、同じ位置に現在の天主堂を再建した経緯があります。私はかつて現地を訪れたことがあります。建物の脇の傾斜地に、元の天主堂の残骸の一部が保存されてはいました。
しかし、広島の『原爆ドーム』に比肩したであろう、『東洋一の天主堂』は消滅しました。長崎市のアメリカの姉妹都市のセントポール市から、本体の撤去の要請も有った様です。姉妹都市交流がナイナスをもたらした例です。
祖父であった市長のこの轍を踏むまい、アメリカの思惑の言いなりになるまい、との意思が現市長をして、この度の行動に走らせたのでは無いでしょうか。