「国家百年の計」とか、「五十年百年後を見越した都市計画」、といった言葉は、その政策や施策が実施され完了した時点や、その後の50年なり100年なりを見定めなくては、適切な評価は下せないでしょう。私が日頃述べておりますように、政治とはまた行政とは結果責任に帰結します。
かつての奈良の平城京や京都の平安京などが、おそらく千年の都の計画として、国を挙げたナショナルプロジェクトとして実施されたことは、間違いないでしょう。ところが、平城京は100年と続かず、平安京も当初の都市計画道路の半分以上が、歴史的な時間の単位からすれば、直後に廃れてしまっているのです。
かつて、東京市長の後藤新平は関東大震災後の『帝都復興』で大規模の都市改造を企て、「大風呂敷」といわれたことがありました。後藤には、ナポレオン三世のパリの都市改造が念頭にあったのでしょうか。その青写真は現在でも東京の都市計画の基本となっているようです。その限りでは、後藤の「大風呂敷」は理に適っていることは確かです。
翻って、入間市の場合、必ずしも理に適っているとは言い難い都市都市計画があります。何らかの思惑で立案された計画ならば、今後平成21年度の予算の減額補正が必至の入間市政にとって、その抜本的な改訂は、政治的な決断として、避けて通れないでしょう。
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