入間市金子地区に館を構えた、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武蔵武士金子十郎家忠。その末裔金子元宅(もといえ)は、16世紀の戦国時代に、現在の愛媛県新居浜市、当時の名称では東伊予に城を構えた武将です。土佐の長宗我部元親方の武将として、羽柴秀吉の四国遠征に抵抗した事は、入間市の郷土史の学習の延長としてある程度は知っていました。
家忠の弟親範が仏子に館を構え、私宮岡治郎の家の菩提寺でもある、高正寺の開基であることもあって、親近感を持っていました。今日の公明新聞で連載歴史小説『安国寺恵ケイ』で、金子元宅の最後が描かれました。要するに城に火を放っての自害です。
金子元宅が歴史小説に登場するのを読んだのは初めてですが、ある程度客観視して元宅を眺める事が出来ました。その一つは、「元宅」という名が「元親」から一字もらっての名前であり、主従関係は形となっていた、ということです。もう一つは自害の前後の様子が追い詰められており、私が長年希望的に想像していた、「妻子は土佐に逃れた」といった伝説の余地が少なくなったということです。
金子氏の末裔が、土佐に逃れて、長宗我部配下の武士となり、後に江戸時代初期の山内家の入府によって、土佐郷士となった可能性は少ないようです。
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