中国の古典の説話、宋の韓愈の『雑説』は、「千里の馬」の存続する必要条件として、「伯楽」について述べています。
すなわち、「千里の馬」=「一日約400kmを走るほどの駿馬」(古代中国では一里は0.4km)は、何時の時代にもいるが、その価値を正しく評価して、適切に扱える「伯楽」=「優れた馬の調教師」は、何時の時代にもいるとは限らない。といった例を挙げて、優れた人材への対応の必要性を強調しています。
昨日の法人会支部総会後の懇親会で、ある会員の方から、「オリンピックの馬術で、金メダルを獲る程の馬(騎手ではない)ともなると、乗り手の技量を厳しく峻別する」と伺いました。単に、高い金銭を対価として、この「千里の馬」(耐久力がある、というよりも障害を乗り越える賢い馬)を手に入れたところで、乗り手としての技量がこの駿馬に見合ったものでなければ、馬の方で「拒絶反応」を起こすというわけです。
私宮岡治郎は、なるほどと思いました。現実社会を通覧しても、分不相応(経済的な尺度を示すものではありません)な行動様式を取るとしますと、「見るべき人」の判断では、当初から結末の帰趨は、読めているものでしょう。
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