日本の歴史上で政権交代とは、多くの場合政権担当者側の中で分派行動が生じ、その一部が在野の反対側に回ることによって、達成されてきました。16年前の細川・羽田連立内閣も、自民党の一派が新党「さきがけ」や「新生党」を結成して離党し、社会党や公明党等と、『反自民非共産』の政党の連合体を形成し成立しました。
ほぼ同格の勢力の均衡が逆転し、政権が移るといった例は少ないようです。政権側がほぼ完全に政権から離脱するといった例は、明治維新位のものではないでしょうか。それとても、旧幕臣の中で、新政府に取り立てられ「顕官」となった者は多くいます。
平家滅亡は、伊勢平氏の一派が壇ノ浦で集団入水自殺を行った、というのが客観的事実です。これを拡大解釈して、日本の武士団の多くを占める、桓武平氏があたかも全滅したかのような誤解を招いてる場合もあります。
鎌倉幕府滅亡も、すでに政権構造の傾いていた、執権の北条氏の得宗家一族や家臣の一部の鎌倉での自害。室町幕府については、既に有名無実の15代将軍足利義昭が、織田信長によって京から追放され、幕府名目上も消滅したに止まります。
今回政権交代があるとすれば、それは完全な逆転となるでしょう。オセロゲームのような、明確な与野党の逆転です。自民党の一部が、新政権に関与する可能性はなく、公明党も同様でしょう。いずれにせよ、共産党は万年野党の存在です。
それにつけても、現実問題、「衆議院議員(代議士)とは消耗品である」、と言わざるを得ません。これは、選挙制度から当然に派生する「宿命」となります。したがって、どのような理不尽な結果でも、小選挙区制を取り入れ、惜敗率で多少の補正を行っている現制度では、しかたの無いことでしょう。
個人の努力ではどうにもならない「消耗品」であることを自覚し、それを覚悟した政治家は、後年大成する可能性があります。保身や目先の権力志向の政治家は、一時的に行動が目立つ程度で、いずれ忘却の彼方に消えてゆく存在に過ぎないでしょう。
将来を展望し、この選挙制度の下での政治家のあるべき姿、政治家の資質が顕在化して来るでしょう。
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