衝動的とまでは申しませんが、性急な政治判断を、それも同僚政治家にまで強いるような事例が、近頃増加する嫌いがあるように感じます。一定の公的な書式が整えば、賛同者として連帯責任は免れないところです。
正味数十分の現場視察だけで、充分に検証したかのように既成事実化したり、多くの事例の中の特殊な事例である可能性も否定出来ないような一例を示して、それが総てであるかのように取り繕う傾向です。勿論、政治家個人の資格と責任において行動するならば、差し支えありません。
性急な政治を強いる論拠は以下の通りです。「元々煩雑な行政制度であるので、議会や議会の委員会としての機関としての意思表示には際限もない時間を要する。この機関決定の時期を逃せば、他の自治体から遅れを取ったり、適正な意思表示の機会を永久に失う可能性がある。」
しかし、政治とは十回のうち九回妥当な判断をしても、残り一回でも妥当でない判断をすれば、信用を大いに失い、行政全般に取り返しの付かない弊害を及ぼすものです。政治には「考える時間」が必要なのです。大きな見落とし、要素の錯誤、論点不足は、しばらく傍観者的に眺めることによって、発見され得るものでしょう。
困るのは、何らかの機構や組織に巧みに取り入り、一定の地位に就き、権限を私的な判断に基づいて、存分に酷使し。それでいて、結果が見込み違いや、不首尾の場合、後始末も責任も負わない、といった行動なのです。
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