政治活動でも経済活動でも文化活動でも、旧来の頑迷固陋な慣行は、時として現実路線へと、大きく舵を切り、変革しなければならないでしょう。
勿論、そのような行動に対しては必ずといって良いほど、守旧派といった抵抗勢力が顕在化して来るものでしょう。
最も、この勢力は、必ずしも従来の既得権の上に胡坐をかいている者たちで成り立っているとは限りません。むしろ、一定の組織や一定の地域の固有の、文化の同一性や一体性を、保存すべき価値あるものとして守り通そうとしている場合が殆どです。
ところが、厄介なのはその逆の類型です。すなわち、自己の無節操や無定見を「現実的」といった重宝な言葉で糊塗する者です。一定の大義名分をもっていてさえ、便宜的に「現実路線」を敢えて選択する行動に対し、先のような「現実的」と同一視して、その「現実的」世界への新規参入による、不当利得の利益配分の減少を未然に防ぐため、本末転倒の言動を吐きます。
つまり、「大義名分」を放棄して「現実的」となっている、甚だしい場合には前者を裏切って後者に靡いている、といった非難です。この際ばかりは、日頃の不行跡は鳴りを潜め、「大義名分」を大仰にあげつらう輩ですので、はなはだ始末に困ります。
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