午前と午後、小田原市を視察しました。主として「学校校舎リニューアル事業について」でした。
午前9時過ぎには、視察団は小田原市役所に到着し、しばらく一階のロビーを見学して過ごしました。市民側の「客溜まり」の空間が広く、窓口付近に幼児用の遊び囲いもありました。予定よりも早く9時20分頃には、議会棟の会議室で行政視察研修が始まりました。小田原市の小・中学校の校舎の全体の概況について説明があり、多少の質疑応答で10時15分頃まで続きました。耐震化は昨年度の平成21年度で全て完了しています。最後は、老朽化した小学校体育館の改築であったそうです。
ところが、学校校舎のリニューアルについては、市の財政難によって、今後僅かずつの進行に止まるようです。平成7年新築の三の丸小学校の「豪華校舎」は例外ですし、建設当時の学校開発公社の借金(公債)が、現在でも残っているとの事でした。
市役所からは、マイクロバスで市立早川小学校まで移動しました。レンタカーのマイクロバスであり、小田原市には様々な負担をかけているようです。
早川小学校には10時半頃に到着し、校長・教頭先生や職員の方々の歓迎を受けました。同校は、小田原市の西部を東向きに流れて相模湾に入る早川の南岸にある伝統校で、鉄筋コンクリート造りの校舎が、1965年と1980年建設で2棟あり、市内の小学校で老朽化が最も進んでおり、最優先的にリニューアルされた小学校です。
廊下の水槽には、学校北側の早川の清流に棲む、鮎などが飼育されていました。西側の足柄山方面に「学校林」を所有し、自然体験や林業への理解の教育目的に活用されていました。校庭の隅には「学校林」から切り出した、丸太を使用したベンチセットが設置されていました。
階段で2階に上がり、廊下の西の突き当たりに「図書室」がありました。元はあまり使用されなかった「多目的室」をリニューアルしたもので、南北両方向に窓があり、北側が川であるためもあって開放的でした。木製の本棚で、天井には埋め込み式の空調設備が完備していました。
ちょうど児童の保護者の活動の一環として、3名の母親達が西側のボードに飾りつけをしていました。学校校舎のリニューアルでも、東京都立大学(現在の首都大学東京の前身)教授の指導を仰ぐとともに、PTAその他の地域代表で検討したそうです。PTA副会長が建設設計業を営んでいたため、図面などにつてもプロの意見が反映したとのこと。
当初の構想では、南側の2個所のドアーの外の一階屋上のデッキ脇に、屋外螺旋階段の「地域開放出入口」の設置計画もあったようですが、予算の関係上断念したそうです。
普通教室と同じ造りの特別教室を視察させていただきましたが、窓の下の部分を床から木製の板を張ってあり、「あたたかみ」や「ぬくもり」を感じさせ、木の香りも漂いました。国の前政権の政策による、学校デジタル化に応じて、薄型液晶テレビもありました。諸般の事情により、標準の50型ではなく、それよりも小型の42型の受像機にしたようです。正確には、「小学校地上デジタル放送対応教育用テレビ」といったところでしょうか。
工作室は、分厚い工作台が様々な悪戦苦闘の跡をとどめており、ご多分に漏れずいたずらで「バカ」の彫物もありました。ちょうど作りかけの小鳥の巣箱が、それぞれの工作台の上に並んでいました。
新しい「多目的室」は、1階の隅にあり、放課後児童クラブ室に隣接していました。部屋は、天井からつり下げた屏風で二つに分割することも可能でした。PTA等や「おやじの会」などの会合室としても使用され、特に他の使用が無い場合は、放課後児童クラブの遊び場として開放されているそうです。
1階だけですが、「みんなのトイレ」(障害者トイレ)が、男女別に設置され、教職員用のトイレは、建物本体の外の一階に隣して、ブロック造りとなっていました。児童が優先されるようです。
視察は正味一時間ほどで、11時半頃にお見送りの方々と名残惜しく、早川小学校を去りました。
昼食は、小田原城近くで、建物が登録文化財となっている『だるま料理店本店』の二階の座敷でいただきました。入間市所有の登録文化財『石川製糸西洋館』を純和風にして、2倍程に拡大したような建物です。
午後は、小田原市から頂いたクーポン券で、小田原城を銅(あかがね)門から入り、常葉木門を過ぎて、天守閣の中の、歴史年表、歴史資料、武具や調度品などを見学しながら、4階まで上がり、天守閣の周囲を360度回りました。生憎の雨で、相模湾や箱根の山は見えませんでしたが、小田原駅を始めとする市街地は一望できました。
その後、城の堀の内にある『小田原市立図書館』(児童文化館併設)と『小田原市立郷土文化館』を視察しました。『図書館』は、小田原市出身でアメリカで農園事業に成功した星崎氏が小田原市に寄贈した寄付金による建物施設です。
更に、小田原市から頂いたクーポン券で「小田原城歴史見聞館」を見学しました。旧城内小学校の講堂を改造して活用した施設です。1546年の現在の川越市での戦い「河越野戦」、についての展示もありました。戦国時代の1495年から1590年まで、小田原は北条氏五代の本拠地で、1546年頃からは、現在の入間市地域も、支配の版図に含まれています。
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