29日(火)は、北見市の旧留辺蕊(るべしべ)町にある、水銀処理場の野村興産のイトムカ工場を視察しました。4年前には叶わなかった希望が、4年越しに実現しました。正式名は、『野村興産株式会社 イトムカ鉱業所』です。
入間市から排出される、乾電池や蛍光灯等に含まれる水銀を含んだ「有害物」の最終処分場ですので、一市議会議員としても、「有害物の行方」を見届ける義務がある、と考えてきました。
「イトムカ」とは、アイヌ語で「光輝く水」を意味し、イトムカ鉱山では、水銀を含んだ鉱石が採掘されてきました。戦時中は、爆弾の信管に水銀が使用されたこともあり、軍需産業の一翼を担っていた事実もあるようです。鉱山としての最盛期は、戦後の1955年頃のようで、社宅には多くの従業員家族が居住し、小・中学校や映画館などもあり、その集落全体の写真などが記録に残っていました。鉱山施設の産業記念物として、山の斜面に『浮遊選鉱場』の跡の赤屋根や柱、壁が見えました。
野村興産は、全国の自治体や事業所から排出される、一般廃棄物あるいは産業廃棄物に含まれる水銀を仕分けて抽出し、再利用資源とする事業を業務としています。会社の性質上もあってか、「ISO14001認証取得」もあり、標語として「限りある 資源を捨てずに 有効利用」が処分場の建物の側壁にもありました。
「蛍光管カレット工場」では、形状を止める蛍光管と、割れた蛍光管とで別の経路をたどっていました。比較的安価な蛍光管よりも、「三波長型」の蛍光管の方が、仕分けが楽なようです。いずれにせよ、破砕して「渦電流選別機」の、「マグネットローター」で、磁石によって、「磁性金属」、「ガラス」と「アルミ」に選別されていました。
廃乾電池は、手作業で「アルカリ型」等を選別し、「焙焼、焼却」処理さてていました。この固定では、50度近くの施設内で5分間程視察しましたが、「熱中症の症状と救急措置」の掲示もある中で、サウナ風呂のような熱さでした。
更に移動して、最終処分場を視察しました。床や側面を厚さ2mのコンクリートで覆われた露天に、廃乾電池や廃蛍光灯の焼却灰や、燃え殻、廃石綿等を、ショベルカーで埋めていました。