昨日訪れた『国立歴史民俗博物館』の位置する、千葉県佐倉市の中心部の佐倉地区は様々な特徴があります。江戸時代は譜代大名堀田氏の佐倉藩11万石の城下町で、現在の千葉県北部に比定される、下総国の中心部でした。県庁所在地の千葉市の方は、明治維新以降に発達した、後発の都市です。
蘭医学の『佐倉順天堂』の発祥地で、明治の啓蒙思想家西村茂樹(1828~1902)の出身地です。前者は、現在の順天堂大学や病院の前進で、後者は、社会教化団体『日本弘道会』の主宰者で、この埼玉県豊岡支部には、現在の入間市地域の、自治、産業、金融、教育の主だった人々が加入していました。
市庁舎と慰霊塔が、建築家黒川紀章(1934~2007)の設計によるもので、前者は1971年完成のムダニズム建築、後者は佐倉の陸軍歩兵第五十七連隊の第三大隊が、グアム島で玉砕した、慰霊の施設で、約1万柱の遺骨が収めてあるそうです。
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