午前9時から10時頃まで、二組の来訪者があり、入間市立西武中央保育所の『生活発表会』は、残念ながら欠席しました。そのため、あらかじめ午前8時半頃に、保育所にその旨連絡しました。
午後は、横浜市金沢区の『称名寺』と『神奈川県立金沢文庫』を見学しました。入間市民の方で、【特別展: 運慶 中世密教と鎌倉幕府】を観た方からの、お勧めによるものですが、私も『金沢文庫』にはいずれ行こうと、数十年来希望していました。今まで延び延びとなったのが、不思議な位です。
京浜急行の金沢文庫駅から、徒歩で東に「国道16号」を渡り、しばらく上り坂の後、まず『称名寺』を見学しました。 南側の「総門」(別名:赤門)には、鎌倉幕府の執権北条氏の「三つ鱗」の紋章が掲げてありました。くぐって中に入ると桜の並木道となっており、「仁王門」の金剛力士像は多少誇張気味の体躯ですが見事でした。
伽藍の中央の池「阿字ヶ池」には中程に島があり、橋が手前の弓形と奥の平面との、二度構えで架かっていました。それ等を通り抜ける事で、「極楽浄土」に到達したような効果を上げているようです。
正面の金堂は、入母屋型の屋根が中高く、禅宗建築の唐様を特徴付けています。柱の上部と下部が細くなって、花頭窓と調和して、全体の均衡の美観を醸し出しているようです。東側の「釈迦堂」は、屋根の茅葺の分厚さが印象に残りました。
晴天の中を鳶の群れが、「ピーヒョロロー」と鳴きながら、飛び交っていました。この『称名寺』境内は三浦半島の東側の海辺に近い丘陵地帯の麓です。ここだけが風致地区として、鎌倉時代以来ではないかと思う程、自然の原風景が保たれています。
西側の隧道(トンネル)を抜けると、『神奈川県立金沢文庫』です。「金沢文庫」の本来の意味は、鎌倉時代末期に、北条実時(1224~76)が集めた、当時の和漢の古文書の保存施設です。
ところが、1333年の鎌倉幕府滅亡と共に、連署といった執権に次ぐ幕府第二の地位にあった、金沢北条氏の当主貞顕も自刃し、文庫(蔵書)は、称名寺が管理を受け継いだものの、後世時々の為政者によって抜き取られ、散逸したようです。現在の施設は、むしろ仏像や仏画の歴史的遺産の展示施設のようです。
【特別展: 運慶 中世密教と鎌倉幕府】は、仏師運慶の作品が、集められて展示されていました。
なお、この「金沢文庫」には「図書室」も併設されていました。本筋と離れるのですが、その中に「中国の寧波」についての図書もあり、中国仏教の寺院や日本との交流などが記述され、写真や仏教画も掲載され、大変に興味深く読みました。寧波とは、波が穏やかという意味だそうです。