かなり大仰な題名を付けてしまいました。
政治家であれば公共的に思考する習慣が備わって来るものです。一般人の場合は、特に反社会的な行動に走らない限り、自己中心に外界を思考することも取り立てて問題はないでしょう。が、最低限人類の存続が、自己の存続の必用条件である事には、異存ないでしょう。
この度の原発事故は、地球的規模で、人類の存続を脅かす事態であると考えます。すなわち、人類が今後も、同じ過ちを繰り返せば、いずれ全体の滅亡は避けられない、ということです。
地域的に、被害状況に差が生じるでしょうから、一概に全滅といった事態はまずないでしょう。が、無反省な人々は、今後人類の完全な滅亡まで、同じ過ちを繰り替えす可能性が大でしょう。
どうやら核戦争よりも先に原発事故の連鎖で、人類は消滅するのではないか、といったシナリオを私は描き始めています。
その際、無力な私に出来る事は、可能な限りその滅亡の時期を遅らせるのがせいぜいでしょう。
一方で、人類の存在の証についても、以前にまして熟慮すべしとの義務感も生じています。それは、芸術文化に集約されるでしょう。
この非常時に、文化について論ずることは、不謹慎とはならないと考えます。芸術文化に顧慮を払わない政治家は、どさくさ紛れに汚職や利権に走り易いものです。そのような弊害を抑止するだけでも効果大です。
コメント