「原発主義」といった造語を提示して、これをかつての「軍国主義」と並列的に、両者の類似性を指摘しながら論ずる方がおられるようです。 確かにどちらも、根拠の無い虚空の「神話」に基づき、強権的な報道統制で強まり、結果的に多大の惨禍を国民に及ぼしたものです。 歴史的教訓として、肝に銘じたいものです。
それでもなお、自然科学的な根拠に基づき、長期的展望に立った理性的な政策提言があっても、それが理路整然とした掘下げたものであるとすると、まったく排除されることは無いとしても、実現に至る過程で、かなりの修正が加えられて、骨抜きとなってしまい、初志貫徹は極めて困難であろうと予想されます。
世の中には、物事の根本を問うとか、あるいは究極的に考える習慣の無い人々が多いものです。その状況下、得意なリップサービスを統率力と自負する、腰の低い仲介者型政治家の多数派工作が、「原発主義」の温存・存続に「功を奏する」可能性が大です。
その際、「理路整然とした掘下げ」といった「厄介な要素」が無いのが、逆に強みとなるでしょう。多数派工作にとって、個別の構成員に理解度の到達に較差が生ずるとすれば、「理路整然」は難点だからです。
ここに「便宜主義」による政治の強みがあります。「便宜主義」とは、広辞苑では「根本的な処置をせず、間に合わせでするやり方。」とあります。政治とは、学芸ではなくて、テクニックなのでしょう。
「恐るべき単純さ」が、優勢となる場合もあります。その際に、その単純さが道理に基づくものかどうか、残念ながら検証されないものです。
コメント