昨日の京都の古寺見学の根本的な動機付けは、自分の日本史知識を確実なものにする為でした。丁度、学校の理科の授業で、実験で確認ながら学習を進める方法と同一のものです。
その基礎的な動機付けの上で、昨年の秋に訪れた、佐渡市の妙宣寺境内の日野資朝の墓所の見学が、直接のきっかけとなりました。
「着眼大局、着手小局」という言葉があり、私も座右の銘としています。この度は、「着所小局、着眼大局」であったようです。
後醍醐天皇の側近として、天皇親政を補佐し、鎌倉幕府滅亡と『建武の親政』に至る過程で、いわば捨石となった日野資朝の学習をきっかけとして、大覚寺統の後醍醐天皇と、その経済的な基盤、時代的な背景、へと調べ学習を日本史全体へと広げました。
嵯峨天皇の御所を起源とする大覚寺は、大覚寺統の本拠です。門跡寺院であり、皇室との関係は当然に深く、政治発信や、政治決着の場でもありました。
また、足利幕府が成立し、翌年の後醍醐天皇崩御の後、足利尊氏が後醍醐天皇供養のために、後醍醐天皇が幼少期を過ごした仙洞御所の跡地に開基したのが天龍寺です。
今回の私の歴史体験は、中央から地方を眺めるのではなく、地方である佐渡から、中央である京都を眺める内容となりました。一応、歴史の系譜の一筋を辿る見学コースは完結しました。
地方議員である私宮岡治郎にとりましても、地方自治から国政を眺める習慣が根付いています。今回の歴史体験学習も、それに相応するようです。
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