前厚生労働省事務次官の村木厚子氏の講演会が、午後2時から4時まで、飯能市阿須の駿河台大学の第2講義棟4階の7405講義室で開催され、聴講しました。
主催は、埼玉県西部地域まちづくり協議会(ダイアプラン)の男女共同参画部会で、入間市男女共同参画推進センターから入場券(無料)を配布いただき、参加出来ました。
講演の題名は、「女性の活躍促進と地域社会の活性化を目指して」とありましたが、内容としては前半の「女性の活躍促進」を軸に、少子高齢化社会、国の財政、消費税などの税制改革などを、多角的に述べました。
労働基準、職業安定、雇用均等や、福祉、年金、保健・医療等の、行政実務のトップにあった立場なので、発言には慎重さを弁えていますが、私的な子育実感や女性としての視座から見た官庁の職場環境、そして「疑獄事件」の体験談も、柔らかく、分かり易くまとめていました。
以下に要点筆記を、私なりの独断と偏見を交えて、纏めさせていただきます。
村木氏は、旧姓西村で1978年の労働省に入省。 官庁の性格上男女平等を建前とする微妙な職場であったが、お茶汲みは自分の役目となった、との事。
「少子高齢化の問題」は、前の前の自公政権からテーマであり、消費税などの税制一体改革を含めた審議会も立ち上がったが、(民主党政権時)「東日本大震災」で、諸会議は中断した。が、委員は非公式に集まっており、改革案は継続して推進された。
少子高齢化は震災のように視えはしないが、かなり大きく、徐々に国に忍び寄って来る。 とにかく、赤ちゃんが減っている。 日本で統計グラフ上、戦後のベビーブームによる団塊の世代を継ぐ第二の団塊の世代の山は明確だが、次の第三の団塊の世代の山が無い。 また、次の世代の出産適齢期人口は減少しているので、その世代の出生率が多少は上がっても、子どもの出生の数は増えない。
経済学的にいえば、設備投資が大きく減ると、生産性が上がっても全体の生産量は下がる。 ※ かつて、柳沢伯夫厚生労働大臣は、この経済法則を明示した後に、女性の出産について機械的に言及したのだが、「子どもを産む機械」発言ばかりが抽出されて報道され、大臣を辞任した、とのこぼれ話があった。 村木氏は、マスコミの怖さを熟知している様子。
将来の日本の人口構成で、2060年の統計までグラフにあり、村木氏自身が生きていれば、105歳の相当するが、「ある事件に巻き込まれて、私は案外しぶといという事が分かった」といって、視聴者を沸かせた。
高齢者パワーも活かせる社会の構築。 厚労省と財務省の両方から、多角的に将来を見なければならないとの前提。 国の歳出は上がり、税収は下がる、「鰐の口」のように、両者は乖離する。 悲観的予想と楽観的予想があるが、労働人口の減り方が問題。 悲しい未来と、ちょっとましな未来が考えられる。
各国の合計特殊出生率は、女性の就業率にほぼ比例する。 女性の就業率の低い中には、ギリシャ、スペイン、イタリアなど、「財政危機の国々」もある。
「ジェンダー・ギャップ指数」では、日本は内容ではわずかに良くなるが、外国はもっと良くなっている。 日本は女性に教育投資をしているのに、十分に活躍出来ていない。 子育て支援についての企業努力の明示として、「くるみんマーク」や「プラチナくるみんマーク」を、発行している。
逸話: 自身の子育てでは、ベテランのお母さん、保育所に助けられた。 長女が3歳頃に、島根県へ母子で単身赴任したが、例えば(松江市の)一畑デパート屋上での「飲みの会」では、長女も連れて行った。
高齢の男性の一人暮らしは、人付き合いが無くなる恐れあり。 男やもめになる可能性もあるので、その予防として、夫に生活力を付けさせる。 ※ 家事分担や主夫の話を、やんわりと避けている。
秘訣: 夫の得意な料理は作らない。 夕食後に「皿洗いと、食後のコーヒー入れ」と、どちらがいい? と聞いて、どちらかさせる。 当然コーヒー入れとなるが。
女性キャリア形成のアドバイス: ① 中核となる仕事に費やした年数X別に費やしたの仕事の数=キャリアーとなる。 ② 昇進を勧められたら、受ける。 一段上がると、仕事が見える。 ③ 考えすぎるな。 生産的でない事で悩むな。 しかし、職場での貸し借りは、きちんと果たせ。 ④ 子育てを理由に、「楽な仕事」ではダメ。 「無理をしろ」では無い。
疑獄事件でも元気でいる秘訣は: 耐えられた理由 ① 家族、友人、近所の支え ※職場の同僚の連名を弁護士から窓越しに見せられて、大いに元気づけられた。 ② 弁護士は優れた人を(医者も介護士も同じ) 自分も頑張る ① 好奇心持つ、拘置所の内部、手錠取調べ ② 若い頃からの、深夜労働の慣れ 余計な事は考えない ③ 気分転換を上手に 推理小説の読む、特に役立ったのはコミックの「名探偵コナン」 ④ 食べて寝る 麦飯は美味しいし、 肌も良くなる
質疑応答で、「非正規雇用問題」について問われたところ、かなり慎重で無難な答えに徹していました。 やはり官僚であることを、私は再認識しました。