政治上の課題として、当たり前の事柄を提示し、討論する場合はほとんどありません。 「異議なし」で片付いてしまいます。 政治上の争点とはならず、政治的な技術を要する範疇に入らないからです。
また、大上段の振りかぶった議論、例えば人類の存続にとって必須事項であるとか、理念的にあるいは、法的整合性として正しいといっても、概ね敬遠される事さえあるのが、政治の現状です。
そこでどうするのかです。 要するに、理念を「利害」のオブラートに包んで、内容の本質も「自明の理」に置き換えて、飲み込み易くするのが肝要です。
良薬は口に苦し、といった諺が有ります。 彼の咢堂尾崎行雄氏が、1927年に豊岡大学で講演した際にも、冒頭で論じています。
その真逆を大胆にも私は、論じているのです。 すなわち、理念をそのまま提示したのでは受け入れられなくとも、「利害」正確には「利益」、更に言えば、聞き手にとっての「私的な利益」を提示する事によって、「説得的な」話術となって完結するのです。
原子力発電は、様々な危険を伴う、と申し上げるよりも、「そろばん勘定に合わない」といった方が、更に「損である」と言った方が、確実に広範囲の人々を説得でき、内心の納得を得られるもと思うのです。