昨日22日(土)の朝日新聞朝刊11ページに掲載されていた、『コラムニストの眼』、「格差固定の企て 高学歴層が築く 看えない壁」は、かなり興味深く読み、論旨が良く理解出来ました。 原文のニューヨーク・タイムズのコラムは、アメリカの経済学者ソースティン・ヴェブレン(1857~1929)の主著、『有閑階級の理論』(1899年出版)を、下敷きに執筆していることは自明の事でしょう。 私の座右の書が、土台となっているコラムなので、すらすら読めました。
NYタイムズの7月11日号に掲載された、ディビッド・ブルックス氏のコラムがそれです。 朝日新聞には「抄訳」となっていますが、NYタイムズのHPから、インターネット検索で読み出し、プリントした原文と比較しますと、僅かな個人名等を削除しただけで、論旨そのものの要約は一切あません。
既存の特権的な階層が、その既得権を子どもの代まで保持っしようとするのは(親心として)許せても、他の階級からの参入を見えない壁で妨害しているのは許せない、といった論調で、その妨害の「手口」と社会全体への弊害を詳述していました。
かつてヴェブレンが、見せびらかしの消費(衒示的消費)を、単なる物質的な対象に限定せずに、時間的なゆとりの条件でのみ可能な、例えば古典的な教養など、経済的な必要性以外の文化的象徴にまで含めて言及したのは、19世紀茉のアメリカとしては画期的でした。
2017年のブルックス氏は、私の。ヴェブレン流の既視感を、更に一歩超えた論旨を展開していました。
「上位中間層」が子どもに多くの教育費を掛けるなどは、「悪くない」のだが、他を排除する高級住宅地の「住宅建築規制」の、アメリカ経済への破壊的な影響。 大学入試での、特権的な基準。 以上は、研究者からの引用で、その「構造的障壁」よりも、より重要な障壁、社会的障壁がある、とブルックス氏は喝破しています。
その核心は、「インフォーマルな社会的障壁」で、「慣習」や「文化的規範」です。この論点により、問題点を更に一歩進めています。
もっとも、この手の慣習やしきたりは、かつての王侯貴族、近代の産業ブルジョアジーを対象とする観察論評で、従来も、さんざ取り上げられてきた事項でもあります。
分かり切った事項である事を前提に、21世紀初頭のアメリカの諸問題を、一時代の一国の、ケースとして詳述している所に、目を凝らして読了する価値があるようです。
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