午前6時半前に入間市役所の駐車場に赴きました。本日は1日がかりで、群馬県長野原町の、八ツ場ダム予定地を現地視察しました。入間市議会の会派『保守系クラブ』の議員10名と、田中龍夫埼玉県議会議員の合計11名で、マイクロバスに同乗して現地に向かいました。
午前9時過ぎには、ダム本体予定地下流の岩下地区や三島地区に至りました。この地区はダムによって水没する予定地区ではありませんが、JR吾妻線の新線として吾妻川を渡る、重厚なコンクリート橋が見えてきました。外見では確かにコンクリートの形状ですが、後で説明を聞いたところ、内部の基本躯体としては「鉄橋」とのことでした。ダムが出来た場合、段差が生ずるため、下流域で徐々に鉄道線路を上げていくための、線路敷設替えの新線です。
ダム本体の建設予定地を過ぎ、水没予定地の川原畑地区の『やんば館』に午前9時15分頃に到着。同駐車場にマイクロバス駐車して、ダム湖を横断する予定の『湖面2号橋』を眺め、全員で記念写真を撮影しました。この橋桁と延長し掛けた橋の丁字型の構図は、テレビや新聞・雑誌等で日本全国で有名となっているでしょう。
午前9時半から『やんば館』が開場し、館内の展示を20分間ほど閲覧しました。特に推進でも、反対や中止でもなく、模型や地図、年表や音声で、客観的な資料を提供していました。ビデオも希望すれば視聴できたのですが、日程の都合で諦めました。
午前10時に、長野原町の『山村開発センター』に到着しました。長野原町の高山町長、議会からは竹内議長、豊田副議長、浅沼八ツ場ダム対策特別委員長、星川同副委員長(女性)、富沢議員(前議長)、更に川原畑住民、豊田川原湯温泉旅館組合長と、町職員の9名が玄関で出迎えました。
2階の会議室で、午前10時過ぎから11時50分頃まで、意見交換会が催されました。訪問側と応接側の双方の挨拶がそれぞれ複数あり時間がかかりましたが、それをを除いても、正味1時間半程の内容となりました。問答形式というよりも、現地を代表する立場の方々の説明を、我々視察団が聴く、ヒヤリングするといった形態となり、最後に問答形式となりました。根本的には、「生活再建」対策が問題点でした。
昼食後、再び『やんば館』に向かいました。駐車場で、国土交通省の担当者と会い、先方のマイクロバスに乗り換えて、『八ツ場ダムの生活再建対策』の現状を複数箇所巡って視察しました。バスに2名の担当者が添乗して、道すがらの案内もありました。正式な肩書きは、国土交通省関東地方整備局 八ツ場ダム工事事務所 事業担当官の鈴木さんと、同じく植木さんでした。
ダムで水没する地域の住民の生活補償の手段として、地理的にほぼ同じ地域の上部の傾斜地を平に造成し、宅地や公園を設置すると同時に、墓地や神社などを水没地から移転するものでした。
ダム本体に最も近い『川原畑地区』は、元の集落から80m程上に位置するようです。ダム下流の『松谷地区』では、現状の国道145号の水没に替わる、新設道路が高い位置に移動するため、500m程に及ぶ勾配の経路や、ループ式の道路が作られていました。
ダム本体は、着工直前に中止となっていますが、工事を前提とした導水トンネルは一部完成していました。
次に、川原湯温泉街入口門手前付近から、左に工事用道路を上がり、『川原湯地区』の造成地を視察しました。全体で5地区ある造成地の中では最も広いようです。一般の住宅地と温泉街の地域とがありました。温泉街の方は、「ダム湖」の湖面の眺望のため、「ダム」側への傾斜をある程度温存していました。
更に、『横壁地区』では、JR線の新線経路トンネル入口がありました。対岸の『林地区』には、長野原町立長野原東中学校が既に開校していました。校庭では生徒がサッカーの練習をしていました。生徒数は全校で108人とのことでした。更に、西に移動すると、幼稚園も開園してました。
最後に『長野原地区』に至りました。この麓のJR長野原草津口駅は、ダムで水没せずに現状のまま残ります。比較的吾妻川の川縁の住民が移動するようです。
視察は、午後3時過ぎに終了しました。その後は、川原湯温泉街に行き、共同の露天風呂に入浴後、午後4時から5時45分頃まで旅館で反省会を催しました。午前中にもお話を聴いた、長野原町議会副議長の豊田銀五郎様も同席され、よもやま話もありました。
午後6時ごろ、マイクロバスで川原湯温泉を後にし、圏央道を渋川ICから狭山日高ICまで経由して、午後8時半頃に入間市に帰りました。