NHKテレビのドラマ『顔』を鑑賞しました。放映時間は、夜9時から10時13分でした。
原作は松本清張ですが、本作品はかなりかけ離れているようです。参考に申しますと、1957年に制作された映画『顔』は、岡田茉莉子演ずるファッションモデルの女性が主人公で、過去をネタにゆする男を、列車から突き落として殺害する設定、となっているようです。
したがって、「原案は松本清張」といったところでしょう。が、「松本清張ワールド」に含有されることは確かでしょう。
主人公の劇団俳優の男性は、9年前に恋人の女性を殺害しています。有名監督のメジャーな映画の主演女優の相手役に抜擢され、映画スターとしての成功の機会をつかみます。が、女性殺害の前に、列車内で女性の知り合いの男性から、二人連れの所を目撃されています。そこで、映画出演によって自分の『顔』で「面が割れる」ことを怖れます。
結果的には、「顔」で判明する怖れは杞憂でした。ところが、写真といった静止画像と違った、動画の表現媒体である映画を通して、演技であっても挙措やしぐさ、具体的にはタバコを持つ際の「手」の型が、決め手となりました。この「自然な演技」によって、目撃者は映画館で記憶を呼び起こし、目撃証言が導き出されてしまう、といった設定が、推理小説的です。
このドラマは、推理作品としてはあっさりと、事件は解決してしまいます。ところが、テレビドラマ的な手法で、時系列的に過去に遡りながら、推理小説家と同時に社会派小説の大家松本清張の作風を換骨奪胎して、我々に絵解きをしてくれるのです。
主人公は、戦前、長崎市で印刷業を営むつつましくも幸福な一家に育ち。高等小学校を終えて家業を手伝い、仕事にも喜びを持つ純真な少年として成長します。印刷工として過ごした、作家松本清張の子供時代をある程度反映しているかと思われます。
ところが戦局厳しい最中の昭和18年に徴兵され、南方の激戦地で瀕死の戦友の求めに応じて首を絞め、「自殺幇助」に近い「嘱託殺人」を行います。これが、後の絞殺の原点となります。
命からがら、復員してみれば、長崎は原爆で灰燼に帰し、一家は全滅、天蓋孤独の身となります。ここで、虚無的な性格が徐々に形成されます。
戦後の混乱期、闇の買出しで、警察に札束を掴ませて助けた若い女性と恋仲となっても、水商売の立場で駐留米兵に媚を売るのが許せません。米軍は、主人公にとって、一家を皆殺しにした敵(かたき)なのでしょう。その上に、米兵からもらった缶詰のコンビーフをはさんだサンドウイッチを、女性から差し出され、がこの辺りから女性に対するが殺意芽生えてくるようです。
これらが重畳的に、女性を絞殺する伏線となっています。更に、上京して入団した劇団の、花形女優が、殺した女性と似ている事が、破滅への糸口となってくるのです。
時代設定は、昭和31年(1956年)で。もはや戦後では無い、と言わた年ですが、戦争及び「戦後」の傷跡を残した、主人公ののっぺりした「顔」は、多くを語るのです。松本清張の視点では、誰もが多かれ少なかれ、戦中や戦後のどさくさを生き延びる手段として、何らかの罪を犯している、といった普遍性を帯びているでしょう。