私宮岡治郎は、小学生時代の1960年代後半頃から、地球上の全面的核戦争による人類滅亡の可能性、といった大問題がこの世に存在する事を知りました。当時は既に1960年前後に大陸間弾道ミサイルが米ソに配備されいました。更に、「キューバ危機」といった、核戦争の一歩手前といった具体的な事態も発生していました。
私宮岡治郎の世界観は、1976年頃までは、遅かれ早かれ核戦争による人類滅亡が不可避である、といった前提で、小さな頭の中を巡っていたように思います。偶発的な地域紛争の拡大、事故による誤発射であっても、ミサイルの着弾した側の核保有国の自動的な報復装置によって、連鎖的に地球上の核兵器は使い尽くされるといった危惧もありました。
ならば、人類の存在の証として芸術を最優先する「芸術至上主義」と、不可避な人類滅亡それ自体を出来る限り先に遠ざけるための、何らかの安全装置、例えば国際親善への配慮や活動への参加を心掛けるのが、人生目的の主軸で、最優先の行動でなくてはならない、と考えました。
米ソの冷戦構造の崩壊で、全面各戦争の危機はそそらく避されていますが、核の拡散は回避されていません。残念ながら、人類は今後も存続する限り、いつでも「同じ過ち」を繰り返すものであり、積極的静止しなかれば、何回でも「同じ過ち」を繰り返す、というのが私の持論です。
政治の役割とは、最悪の事態を回避することが最優先であると考ています。市民的、国家的のみならず、国際的な責任感は、地球上のあらゆる国や地域の、国や地域、国の中の地方といった、あらゆる次元の政治家の責務でなくてはならない事態は未来永劫に継続します。
私宮岡治郎が常日頃残念に思うのは、次の二つに集約される範疇に相当する人々の多さです。
一つは、幼少時代から経済的文化的環境に恵まれながら、習得した専門知識や一般教養を、ただ単に私的な営利目的にのみ費消し、特権的な生活基盤の維持を図る人々。ノーブレスオブリージ(地位に相応しい義務感)を持つべき境遇にありながら、それを行使しないのです。
もう一つは、特に恵まれた環境に育ったわけではなく、たたき上げ的な権力志向で、政治家を初めとする公的な立場に付いた人々の中で、支持母体の圧力や地位保持(保身)の意思によって、きわめて狭い範囲の利益の代弁者に止まり、利害の異なる同格の他者と敵対関係にある人々です。
前者については、既得権を保持しようとする意識が強く、日常的に国よりも家(家族)や自分(個人)を優先して生活しています。
後者については、比較的若い時期(多くは十代)から社会人となり、処世術の習得には長けるものの、根本となる法の存在の意義や、自身と異なる思考構造を有する数多くの人々の存在と、その人々の論理への洞察を学ぶ姿勢を習得する機会を逸してしまいます。すべては、自己の生活圏内の把握であり、自分の経験則は生かせても、歴史等から教訓を得るには至りません。
人類を滅亡から救うのは、「形而上学的な政治」であると私は考えます。が、前者は、形而上学を理解しておきながら、それを行使するといった良心に欠ける嫌いがあり、後者は、残念ながら、形而上学そのものを理解していない場合が多いのです。前者ほど利己的でも冷笑的でもないのですから、尚更残念です。