フランス革命・ナポレオン戦争の戦後処理を暫定的にでも決定することになった、欧州列国の国際会議『ウイーン会議』(1814~15)を連想する文章に、触れる機会がありました。
議長国となったオーストリアの外相メッテルニヒが中心となり、敗戦国フランス代表のタレーランが、「戦争で失ったものを、会議のテーブルで取り返すべく」会議を長引かせ、結果的に元の木阿弥的に、旧体制へと復帰させる形態で、各国の利害調整がまとまりました。これによりフランスは、領土の割譲も賠償金も免れたという、多大の消極的な成果を収めたようです。
外交交渉の最中に、文字通りの外交辞令の社交パーティーは度々開催され、肝心の会議が遅延したとの定説があり、「・・・、されど進まず」との論評が生まれて、後世に人口に膾炙する程に普及しました。
戦前のドイツのオペレッタ映画(1931年制作)の題名『Der Kongress tanzt』にもなっています。ヒロインを演じた、リリアン・ハーヴェーの歌う「それはたった一度の事、それは二度と来ない」(ドイツ語では: Das gibt's nur einmal Das kommt nicht wieder)は、ナチスドイツ時代の国策とともに歩み、ナチスと共に滅び去った「ウーファー映画」といった、20世紀の30年代から45年までの映画製作会社の、文化現象そのものの運命を象徴しており、多元的な意味合いを含むようです。
ともかく、フランス革命やナポレオン戦争といった、大きな変革の後には、反動の結果をもたらす国際会議が生ずるのは、折込済みとの前提で、策源地のフランスが着地点を予め見込んで交渉を進め不利益を免れたのは、別に不思議ではなかったのかとも考えられます。
「3.11」を過ぎて、現在の日本は、従来検証されなかった問題の本腰を入れた提起、積み残したままの前近代的な要素の解消、そして、新たな価値観の創出が、大なる歴史的な課題となるのは必定でしょう。
このように、政治も含めた構造的な更新は必須なので、政治的なディベートが、長引けば長引く程、変革の能動者たらんとする者には時が味方して、必然的に事態は好転するものなのでしょう。まずはゆったりと乙に構えていれば、それで充分でしょう。
また、ウイーン会議による『ウイーン体制』ですら、自由主義やナショナリズムのうねりの前では長らくは維持されなかったものです。歴史から学べることとして、一時しのぎ的な体制は、そもそも長続きはしないものなのです。
冒頭近くで取り上げた、オーストリアの外相メッテルニヒですら、一度は宰相にまでなっても、晩年は国を追われる亡命生活の後、帰国してひっそりと生涯を閉じているのです。