明治の日本の議会制度の黎明期に、議会工作に独特の才能を発揮して、浮沈を繰り返した政治家に星亨(1850~1901)がいました。群を抜いた英語力を駆使して欧米に留学。イギリスで法廷弁護士資格を取得したり、帰国後に政治犯として入獄したりと、かなりの知力や体力があったことは事実でしょう。
しかし、遠慮会釈無い、呵責無い、「豪腕ぶり」を発揮したに過ぎないのでしょうか。藩閥政治に対抗はしても、特に行政に投影されるような政治実績はありません。
よく引き合いに出される逸話として、衆議院議長就任を選挙公約とし、「諸君は僕に投票し給え。さすれば、諸君は衆議院議長に投票した事になる。」と選挙中の演説で豪語し、当選の暁に、その通りとなったとされていいます。ところが、収賄井容疑で衆議院議長不信任となり、さらに居直って、本会議で議員そのものの除名が議決されています。
逓信大臣も長く続かず、伏魔殿であったか、星が伏魔殿としたのか、東京市議会での跳梁跋扈ぶりに憤った壮士によって、市庁舎内で刺殺されて生涯を終わってます。テロや失脚、凋落が付きまとう政治家とは、所詮それまででしょう。
あまりに無理を押し通すので、星亨(ほしとおる)を文字って、「おしとおる」(押し通る)といわれたそうです。
反面教師は、歴史記述にさほど取り上げられませんが、その害毒が、現代に至るまで、国会をスポイルしつづけていいるのでは無いかと、今しみじみ考えさせられます。
議会とは、群れを為す事を好む傾向のある人々の集団です。執政とは別の、この群がりたがる習性の議員達を、巧みに操るだけの、人心収攬術だけでも、生前はかなりに目立つた存在になったものです。
要するに、表に回ったり、裏に回って、個々の議員にとって、星亨が最も好ましい議員と思わせる術で一定の成果を上げたものと思われます。