そのもっともらしく学説的・学術的な用語が、マスコミの力を得て世上流布されましたが、発表当初から、その存在実態の不確かさから私が反発した言葉に、『消滅可能性都市』が有ります。
その『可能性』といった婉曲な表現の様で、不当な『消滅』というレッテルの貼り付けに、憤慨したものです。
性急な何らかの手立てを強いる、少なくとも該当した自治体住民や、多少なりともその自治体に間接的なアプローチをして、側面から自治体の局に当る物へ圧力をかける。そういった例が多発したようです。
人口だけを例にとっても、向こう10年程で、数割減少の見込みとなった程度で、この不名誉なレッテルが張られました。東京都の豊島区でさえも、この不名誉なレッテルが張られた位ですから、その他は推して知るべきでしょう。
私の持論として、自治体の人口が半減しても、四分の一になっても、その自治体は、市が町になっても、町が村になっても、その人口に合った経済活動か続き、行政も教育も、公共施設も福祉も、その現状に合わせた的確な内容と規模に縮小される筈です。
殊更、悪あがきする事無く、適正に着地地点を求める行政、これがこれからの日本の自治体の、標準的な指標であると考えます。
この甚だ不適切な造語に呪縛された行政は、それが何らかの利益といった他の思惑の絡んだ作為であれば、なおの事、その施策の歪の補正といった、厄介な負担や軋轢をもたされたものです。