戦後の日本の国政では、保守本流以外の政権は短命に終わるものと、私宮岡治郎は考えています。何を以って「保守本流」というのか、また、短命で終わる事が好ましいのか否かといった価値判断は、ここでは致しません。
戦後1947年の総選挙で、当時の日本社会党が第一党となり、日本社会党を首班とする三党連立内閣、翌1948年に当時の民主党を首班とする三党連立内閣。前者が9か月半、後者が7か月ほどの短命内閣でした。
現在の比較的多くの日本人の記憶にあり、現代の現役政治家も多く関与している細川内閣は、1993年の総選挙で自民党の過半数割れにより、8党・会派により成立。翌1994年4月終了し、後継の羽田内閣は6月末に終了しています。前者が8か月半程、後者に至ってはたった2か月の「超」短命さです。
昨年の夏の終わりに、「政権交代」があったことは客観的事実ですが、このような事態は、戦後既に2回生じており、その歴史的な教訓を与党側が生かさない限り、早晩同じ経過を辿って、政権が短命に終わる蓋然性は高いと思われます。
ところが既に、鳩山由紀夫内閣は、民主党首班の三党連立内閣として2009年9月に成立したものの8か月半後の、2010年6月に終了しています。後継の菅内閣は民主党首班の二党連立内閣として成立後2か月半が経過しています。
衆議院で絶対多数を保持する限り、政権党による政権の「たらい回し」といった延命策も考えられます。先の参議院選挙の比例代表で、比較第一党であったことも事実です。
私はなぜか、中国の初唐の詩人劉廷芝の作とされる『白頭を悲しむ翁に代る』の中の、かつて日本人にも良く知られた句「年々歳々花相似 歳々年々人不同」を連想します。元来は人生の儚さを嘆いた詩です。
しかし逆に、政治家は変わっても、戦後日本の政治の仕組みや機能は、基本的に変化はしていないとも考えられます。そういった意味での嘆き節をここで唱えるつもりはありません。
敢えて申し上げれば、保守本流以外の政権は、その与党第一党の党首の資質にかかわらず、何らかの必然性によって、不安定なものにしかならないのではないか、といった「定理」を思わざるを得ないのです。
私も齢五十を超え、「天命を知る」べき段階です。国の政治の動かしがたい「定理」を承知の上で、入間市及び入間市民の生活にとって、最善の策を講ずる義務を意識しはじめています。