「元加治駅南口開設」に関する要望活動に参加しました。要望書は主として、飯能市加治地区在住の市議会議員が率先して企画・作成されました。要望先は、飯能市長、入間市長と西武鉄道株式会社です。
署名には、同地区の飯能市議5名と自治会長7名、入間市西武地区在住の入間市議4名と区長7名、更に、学校法人 駿河台大学理事長の山崎義久氏の名が連なりました。
午後0時50分に、飯能市役所3階の市長応接室に赴き、沢辺市長と対面して、要望書を手渡し、30分間ほど談話をしました。参加者は、加治地区の飯能市議4名と自治会長2名、西武地区の入間市議4名と区長2名で、応接側は、市長の外は、本橋副市長と新井建設部長でした。
駿河台大学の協力なども話題となりましたが、市長は元加治駅南側の十字路で交差し、西武線の線路の南側の、『岩沢南部地区土地区画整理』地域を東西に通る幹線道路や、入間川の阿岩橋下流の歩道橋の新設の可能性にも触れました。
午後2時45分に、入間市役所3階の市長室に同じメンバーで赴き、木下市長と対面して、要望書を手渡し、こちらでも30分ほど談話しました。
木下市長からは、南口の駅前広場の買収の負担や、取り付け道路の必要性が取り上げられましたが、この点、駅前広場の飯能市の部分については、飯能市が既に買収済みである、との飯能市議からの説明があり、一定の進歩が示されました。その後は、下水道事業や水道事業、市街化調整区域の開発の問題などが論じられました。
今後、年明けに、西武鉄道本社に赴いて、要望書を提出する事になりましたが、全体的には、『元加治駅南口』を、直ぐに実現させる事は困難である、といった印象をもちました
しかし、これをきっかけに、元来は一つの自治体「飯能町」の時代を経て、1953年に分離した行政上の弊害を少しでも取り除く作業に着手する、きっかけが出来たと考えました。