私には、「少なくとも国政レベルの政治家は、君子たるべし」、との持論があります。 が、君子の道程は、なかなか厳しものとなるでしょう。 君子を要路に据える意義や価値を判断する方々はいても、個々や区々の利害得失を捨象して行動する方々となると、極めて少なくなるからです。
更に厄介なのは、基礎自治体クラスの議員の中には、君子としての挙措がお気に召さない方々が意外なほど多い現実です。君子は態度が淡白であっても、それは謙虚さの反映であって、その方が交流は長続きし、安定している事を、正当に判断出来るのかはなはだ心配になってきます。
「君子交淡如水」(君子の交わりは、淡きこと水の如し: 出典 礼記)。この意味を理解するヒントとして、その逆をここで提示すると分かり易いでしょう。
「小人交甘如レイ(=酉偏に豊)」(小人の交わりは、甘きことレイの如し: 出典 礼記)。小人の交際は甘酒の如く、ベタベタと濃密である。(が、信頼関係は無く、長続きしない。)となります。
ともかく、君子を孤立させるのは、世の中の大きな損失につながります。