自然界の動物の生態を鑑みれば、動物は環境に何ら作用せず、唯環境に適応して寿命の尽きるまで生存し続けるようです。過去の歴史の記録を参考とするでなく、未来に対してあるべき姿を模索するわけでもありません。
江戸時代の俳諧師松尾芭蕉が、変化しないもの「不易」と、変化するもの「流行」とを一括りに「不易流行」として纏めて論じています。文化論としては、確かに意義深いものと評価します。先達から受け継いだ文化に「新風」が吹き込まなければ、澱みが生ずるからです。
しかし、現代社会で「流行」なるものは、ひたすら、より刺激的に新たな需要を喚起しょうとする商業主義を策源地としています。それは、文化に限らず、経済全体や教育内容、政治にまでも極めて瑣末主義的な、刹那的な作用をなしているようです。
「3・11」を過ぎて、エネルギーの抑制を志向する必要性が、我々日本人には切実なものとして迫っています。有為転変する社会の弊害、「製造と廃棄」・「建造と破壊」を繰り返す経済構造を抑制し、矛盾を止揚すべきでしょう。経済指標としては「不活性」な、その上で文化的には高度で活発な社会を目指すべきでしょう。
多少権威主義的に引用すれば、ドイツの文豪ゲーテの代表作で、世界文学の最高峰の戯曲『ファウスト』の中の一節、「一時光るものはそれだけで、本物は末永く残るものですよ」といった、価値観の普及がこれからの課題であると考えます。