明治憲法(大日本帝国憲法)について学習しました。 ワンポイント学習の切り口は『天皇機関説(問題)』です。
行政法・憲法の大家美濃部達吉博士が唱え、1910年代から1930年代半ばまで、大正デモクラシー期から昭和10年頃までの、明治憲法の通説で、正に明治憲法体制を支えてきた正統で正当な学説です。 著書『憲法撮要』は、高等文官試験の受験基本書で、美濃部本人も試験の採点者であったようです。
ともかく、これ程の権威のある学説が、取るに足りない一部の政党のそれも極右分子や軍部や在郷軍人会そして正真正銘の右翼によって、いとも簡単に屠られるとは、こういった時代の知的ヒエラルヒーの崩壊を、今の時代に合わせて連想し痛感します。
背後には、文部省など政府系組織までも含む、個別の憲法学者への恫喝も在った事が、近年行政資料として発見されているそうです。 学者は象牙の塔に止まっていては、個別撃破されます。 一般大衆との連携こそが、邪悪な連中の跳梁跋扈を防止し、撲滅する手立てなのでしょう。
『天皇機関説』は、法人である国家を統治権の主体とし、天皇は国家の最高機関として、憲法にしたがって統治権を行使する、としています。
そこで、主権在君との整合性に疑義の指摘があって、1935年になって明確に弾圧され、今日の視座から眺めれば、非合理で病的に神掛かった「国体明徴声明」等辺りから、日本がファシズムへの道へのアクセルを強めたもでした。
確かにその通りであったとしても、明治憲法の第1条は「大日本帝國ハ、萬世一系ノ天皇、之ヲ統治ス」であり、確かに、天皇主権そのものは明文化されてはいません。
したがって、「コレヲ統治ス」とは、主権の「主体」ではなくて、主権を「行使」する、といった解釈が可能なのです。 そうなると主権の主体はそもそも憲法解釈上「法人である国家」であっても、矛盾しません。 天皇は、オーナーでは無くて、トップマネージャーなのです。 勿論、マネージャーが世襲制である事への、素朴な違和感はあったでしょうが。
これは、モデルとして立憲君主制のドイツ帝国でも、諸説分かれるところであった様なのです。 憲法解釈は、法律的な体系的な理論、現実の政党政治の発展、そして良心的で健全な悟性があって、初めて成し遂げられるようです。
一般教養も必須でしょうが、こういった学者や、学説理解者は、偏狭な精神主義者からは、憎悪の標的になるのが、歴史的な必然でもあるようです。
ところで、学習の副産物ですが、日本国憲法で、国民主権(主権在民)を規定している、独立した条文の無いのを再認識しました。
第1条で、象徴天皇制と一括して規定されています。 「・・・、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」です。