英国王朝と徳川幕府とで、時間的なほぼ完全な一致する事項を発見しました。 日本の西洋史家はとっくに承知してはいるでしょう。 特に言及しないのは、取り立てて論ずべき学問的価値や意義は無く、こじつけて論ずれば、学界で恥をかくからでしょう。
しかし、私は素人歴史学習者で好事家です。 ディレッタントとして、怖いものなしといった図々しさで、以下の「愚論」を展開するものです。
英国のスチュワート朝・ハノーヴァー朝と日本の徳川氏の、国政上の「君臨」した期間の、偶然一致した時間的類似性です。
特に英国に限った事ではありませんが、むしろ日本を唯一例外として、諸外国には「万世一系」の王朝というものがありません。 したがって、日本の三大幕府を、諸外国の王朝に擬したとしても、「不敬」とはならないでしょう。
1603年、スチュワート家のジャームズⅠ世がスコットランド王朝に、イングランド王朝を兼任して、首都ロンドンに移って城を構えました。 同じ1603年、徳川家康は「征夷大将軍」の宣下を受けて、名実ともに天下人となって江戸に城を構えました。
スチュワート家は1714年、アン女王の死を以って断絶していますが、ジャームズⅠ世の娘の娘の息子である、ドイツのハンノーファーの殿様ゲオルクが、ジョージⅠ生として英国国王に迎えられています。 ほぼ同じ1716年、徳川宗家が断絶し、御三家の紀州徳川家の三男が、征夷大将軍徳川吉宗として、江戸城に迎えられています。